何もしてないのに壊れた

たぶん、何かしてる

インスタ画像を盛るという逆効果しかない愚行

学生の頃、テスト前になると「全然勉強してないわー」っと言う友人がいた。僕はそれを信じた。テストの点数が悪くても1人じゃないと安心した。しかし蓋を開けてみればその友人は思いのほか良い点数だった。本当に全く勉強してなかった僕は酷く落胆する。

セリヌンティウスのように信じ、メロスかなってくらい激怒した。1人で走れメロスが完成してた。

 

この「全然勉強してないわー」を言う気持ちはまだ理解できなくもない。自らのハードルを下げておく事で結果が悪かったとしても「思ったより良かった」と安堵する効果があるのだろう。周りからも「勉強してなかったから仕方ない」と慰めて貰えるだろう。「前言い訳」とでもいうべきか。悪い結果が出てから言っても意味がないのである。

 

自撮りの画像をかわいく盛るという行為はどうだろうか。前述のテストのケースで考えてみれば、「すごい勉強してきた。マジ自信ある。」という事になる。結果が伴えば問題無いがそうでなければ滑稽でしかない。これは「ちょっと待って、さっきマックで隣の人が話してたの聞こえたんだけど」と同義である。ここから始まる話が面白かった試しがない。深夜2時くらいに考えたの?ってなる。

 

この「(逆)前言い訳」とでもいう状態は誰が得をするのだろうか?

加工された画像を見る→かわいい

実物を見る→あれっ?何か違う

インスタを見る→やっぱりかわいい

実物を見る→やっぱりかわいくない

思わず「メイク変えた?」と言うより先に「フォトショのレタッチスキル上がった?」と言いかねない。

 

何故、自らハードルを上げてしまうのか?

それはやはり昨今のインスタグラムのブームに原因があるように思う。リアルの充実よりもインスタで「いいね!」される方が重要なのだ。写真がかわいければ実物はどうでもいい。ここまで見事な本末転倒は滅多にお目にかかれない。

 

インスタグラムではどれだけカラフルにできるか、どれだけ自分を盛れるかが重要らしい。その中でも自分のスタイルを良く魅せる「インスタポジション」という物があるという。少しでも顔を小さく見せる為に人より後ろにポジションを取るというのだ。他人の事など気にせず自分さえかわいく撮れれば良いという人としての「醜さと狡猾さとずる賢さと」が凝縮している。篠原涼子が歌えばヒットしそうだ。その熾烈なポジション争いは藤井四段よりも1手先を読む心理戦に加え、長友かなってくらいのディフェンス力が要求されるらしい。時にはオーバーラップもする。負けられない戦いがここにある。ポジション取りが上手くなった日本代表は課題である決定力不足を解消し自分たちのサッカーが出来るようになるだろう。

 

後輩の女性に「ハッシュタグ」付ければすぐ見つかりますよと言われた。僕がシャープと呼んでいたこの記号「#」はその名を変えていた(厳密には違うらしいが)。音声案内の最後に押す事でお馴染みのあの子は今や若者の人気者になっていた。コメジルシと呼んでいたこの記号「*」が「アスタリスク」に変わった事もあった。光り続けよう、あの星のようにと陽キャの5人組に教えてもらったものだ。

盛者必衰の理を「#」や「SHARP」から学んだ。

 

その後輩の女性はナイトプールに行った様子をインスタにあげたので見て欲しいと言う。今年ナイトプールに行ってその写真をインスタグラムにあげるという実に分かりやすい地雷女である。 恥ずかしくないのかなと思ったがそもそも世界に向けて公開してる訳なのでそんな気持ちはないのだろう。そこで目にしたのは去年まで見た事のなかったプール1面に広がるピンクのフラミンゴの浮き輪だった。

浮き輪と言えばドーナツ型やシャチが定番だと思っていたが今年の主役は完全にフラミンゴになっていた。期待のルーキーだった。乃木坂46を思わせるセンター抜擢だ。アイデンティティであるはずの脚の細さは無かった事にされていたが。

 

後輩の女性は見事なまでのポジション取りだった。全ての写真で1番後ろをキープしてた。全盛期のロナウジーニョを彷彿とさせるキープ力だった。

 

それ以来、恥じらいのない地雷女が嫌いになった。